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2010年11月 1日 (月)

皇居を護る忠臣の銅像

教育勅語が明治天皇の詔とし渙発されたのは明治23年10月30日。今年は120周年にあたります。各地で記念行事が行われたようですが、神戸の湊川神社では31日、祭典と記念行事が行われました。奉告祭後の記念行事では、第1部で、ぼくが「道は高く美し、約にして近なり~学びと育ちの原点を問う~」と題して基調講演。第2部で塚本幼稚園幼児教育学園の全園児による教育勅語奉読と日本の歌合唱と大正琴の演奏。第3部は鼎談で「これからの人作り~教育の肝要~」のテーマで、三輪尚信氏(皇學館大学非常勤講師)と籠池靖憲氏(塚本幼稚園幼児教育学園園長)、そしてぼくとが話を交わした。雨天にもかかわらず、多くの方が参集され、熱心に耳を傾けてくださいました。

湊川は大楠公(楠正成公)が討ち死にされた地で、湊川神社は大楠公を御祭神とし、境内には、徳川光圀公建碑になる「嗚呼忠臣楠子之墓」があり、訪れる人が後を絶ちません。

Photo

ぼくは、31日朝、新幹線で東京を発って、神戸に入り、湊川神社での行事が終わって岡山の寓居で翼を休め、1日朝、マイカーを岡山空港に走らせて、お昼に羽田空港に着き、東京駅北口前のOAZO内のレストランで江戸表の姫に美味しいランチをご馳走になりました。

そのまま、訪問予定の文部科学省に行きかけましたが、姫に素敵なお土産をいただいたもので、荷物を置きに竹橋のホテルに寄りました。このホテルは定宿にしているところで、窓から、皇居の森が見渡せます。また、ホテルの隣の気象庁の前のお堀端には岡山の忠臣・和気清麻呂公の銅像が立っており朝の散歩コースでもあります。

和気清麻呂公は、神護景雲3年(769)年に宇佐八幡宮の神託をもとに、道鏡の皇位就任の野望を挫き、皇統を護持されました。その時、大隅に配流されましたが、その後に復帰し、光仁天皇・桓武天皇に仕え、平安遷都のために活躍されました。この銅像は、佐藤朝山の作で昭和15年(1940)に紀元2600年を記念し建立されたものです。

外は、秋の青空。「そうだ!綺麗な写真を撮りに行こう!」と立ち寄り、午後の日差しが像の正面に注ぐ御姿を拝しながら撮影しました。

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そして、タクシーに乗り、二重橋前の道路で降り、お堀端まで歩き、皇居を拝して二重橋を撮影しました。あたりは外国人観光客の一団が訪れ賑やかでした。

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その後、元の車道をまで帰り、さらに車道を渡り、皇居外苑に立つ馬上の大楠公像の雄姿を拝しながらシャッターを切りました。

楠公像は、別子銅山開山200年を記念して住友家が企画。作者は楠公像が高村光雲、馬は後藤貞行で明治37年に完成し、宮内庁に献納されたものです。

Photo_4

皇統を命を懸けてお護りし、今も銅像になって皇居をお護りされている代表的な文人と武人の忠臣を青空をバックに仰ぐことができました。11月1日は、いい日になりました。

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